賢学塾が国語力にこだわるのはなぜか。それは、国語力はすべての学力の土台であると考えるからです。
言葉は、人がものごとを考えるときの基本的な道具です。国語力がなければ、他のあらゆる学習でも理解を深めることはできません。
ところが長い間、学習指導の世界では、国語力、あるいは日本語能力は(漢字の読み書きを除いて)軽視され続けてきました。国語力は、その人がもって生まれたものであると受け取られ、努力したところで伸びないとさえ考えられていたように思います。その一方で、近年のお子さんたちの国語力は、本格的な読書の不足や日常的なコミュニケーションの不足から、低下し続けているという指摘もあります。
そして国語力の低下は、お子さんの心身の発達にも影響を及ぼしているのではないかとも考えられます。例えば、いわゆる「キレる」という現象は、言語の貧しさにも原因があるのではないでしょうか。言葉で自分の感情を表現し、他人に理解してもらうことができれば、ある程度は抑えられるのではないかと思うのです。
文部科学省の文化審議会も、報告で
「国語力の発達が、個人の感性や情緒の基盤をつくるとともに、コミュニケーションを活発にして人間関係を豊かにする」
旨の指摘をしています。当然のことだと思います。
賢学塾ではもう何年も、だれもが重要だと気付いているのに力を入れてこなかった国語の指導に真正面から取り組んできました。しかし、国語の力を伸ばすには粘り強い地道な取り組みが必要であり、1,2か月という短期間で効果が現れることは、そう多くはありません。それをもって「国語力は伸ばせない」と判断されることが多いのだろうと思います。それでも賢学塾は国語力が伸ばせない学力だとは考えません。国語力は理数系とは違い、生涯にわたって伸び続ける学力です。言語経験が豊かな人ほど高い能力を有するため、年齢が上がれば上がるほど、経験が積み重なって能力が伸びるわけです。ということは、意識して言語経験を増やせば、国語力はぐんぐん伸ばしていくことができるということなのです。
そこで賢学塾は、文章を読み書きする経験をより多くしていくことが、国語力向上の第一歩だと考えました。そして基礎的な学習を徹底してやってきました。それは例えば、音読や文章筆写、短編の一言感想などです。多くの文章に触れさせ、考えさせる指導を続けています。先述した文化審議会の報告にも、
「小学生には読みの学習を先行させ、言葉の知識を増やすことに重点を置くべきである」
という指摘がありましたが、賢学塾ではまさにそれを実行しているわけです。
文章と接する機会に乏しいお子さんたちに、いきなり「すじみちを立てて文章を書くこと」や「個性的な文章を書くこと」は期待できません。論理的な文章を読んだ経験がなければ、論理的な文章とはどういうもので、どう組み立てたらできるのか、分かるはずもないのです。また、個性的な作文を書くには、感情をより豊かに表現し、風景をより生き生きと描写する必要がありますが、心の引き出しにさまざまな言語表現を収めていなければ、材料となる言葉がないため、表現に工夫のしようがないのです。つまり、頭の中に言葉や文章の蓄積があるかどうか、そして何か表現したいときに、それが泉から水がわき出るようにあふれ出てくるかどうかが、国語表現力の核心なのです。
お子さんが言葉で表現する力をつけるには、まず「泉」から豊かに言葉がわき出るよう、「地下水脈」にあたる言葉の蓄積を作り上げていくような学習や言語経験が重要なのです。賢学塾は、お子さんたちの「言葉の泉」から豊かに言葉が湧出するよう、さらに国語力強化に力を注いでいきます。
国語力強化には手間暇かけた一対一の取り組みが必要ですが、賢学塾では国語をふくめたすべての教科で、一対一の対話・問答を重視した学習をしています。これからも、国語力強化を核とする「土台からの学力作り」に、一対一で地道に取り組んでいきます。